魔法の館

 
 
 
 
 
残業帰りのその日、ふと、いつもとは違う道を通ってみようと思った。
ちょっと薄暗くて人通りが少ない道だけど、もしかしたら近道かもしれない。
しばらく細道を歩いて行くと、三叉路に出た。自分が来た道を除くと、行く道は二つ。たぶん、右に行くとそのままおうちに着けると思う。でもわたしは、左を選んで進んでみる。
すると、車一台が通れるかどうかのかなり細い道になり、「この先行き止まり。」という看板が目についた。
『あ~残念。ダメだったね。』そう呟いて戻ろうと思った瞬間、行き止まりの道の向こうに、ほんのり明かりが灯っているのが目についた。
赤と言うか緑と言うか橙と言うか‥温かそうな柔らかな光が、塀の向こうから灯っている。
今日はだいぶ遅くなったけど、遅くなったついでだし‥と思い、そ~っと足を忍ばせてその家まで行ってみる。
 
目の高さくらいの真っ白な塀の向こうに、古びたおうちが見えた。
人の気配は感じられない。
おうちと塀の間が広く、たぶんお庭になっているんだと思う。
わたしは周りに誰もいない事を確認して、塀に手をかけてよじ登ってみた。
 
『うわぁ~~すごい!』
わたしは思わず声を出してしまった。
そのお庭には、色とりどりの、沢山の種類の紫陽花が植えられていた。
ちゃんと歩く道も作られていて、ところどころに蓄光タイプのライトが置いてある。淡い光に照らされた紫陽花は、今が夜だと感じさせないくらい生き生きと輝いていた。
わたしは時間を忘れて、しばらく見入ってしまった。
 
しばらくして、後ろに何かの気配を感じて振り返ると、そこにはにこやかな表情の男性がいた。
わたしはびっくりした拍子に、塀の上にかけていた手を放してしまう。
バランスを崩して落ちそうになったところで、男性が慌てて抱き留めてくれる。
『す、すみません。ごめんなさい。申し訳ございません!』
慌てたわたしは、なんとか謝罪の言葉を口にし、自分の足で立つ。
『いや、構いませんよ。』男性はそう言って、わたしについたほこりを払ってくれた。
 
『あの‥いつからそこに居たんですか?』
わたしは場をつなぐために、聞いてみた。
 
『あなたが塀をよじ登っているところからです。』
彼は平然と答えた。
 
う‥そんなところから‥。
『すみません、ありがとうございました。』と言って立ち去ろうとするわたしに、『良かったら見ていきませんか?』と彼が言って、お屋敷の門を開けた。
あれ?このおうちの人だったんだ。
一瞬どうしようかと思ったけど、折角だからお邪魔することにした。
 
そのお庭には、本当にたくさんの紫陽花が植えられていた。
レトロなランプを片手に案内してくれる男性は、まるで西洋の紳士みたい。
『なんでこんなにたくさんの紫陽花を植えてるんですか?』
わたしはふと尋ねてみた。
彼は振り返り、にこやかに答えてくれた。
 
『この紫陽花は、私と大切な人との思い出なんです。その人との間に、幸せなことがあったらひとつ、楽しいことがあったらまたひとつ、そうやって少しずつ増えていったんです。気がついたら、こんなにいっぱいになっていました。』
 
『へぇ~素敵ですね!』
わたしは心からの笑顔で彼を見た。
 
『もう増えませんけれどね。』
彼は少し俯いて、ぼそっと呟いた。
わたしが『えっ?』って聞き返すと、彼はまた笑顔に戻って、小毬紫陽花をひとつぱちんと切って差し出した。
わたしが困惑していると、『どうぞお持ちください。』と言って、わたしの手にそっと置いた。
 
『この紫陽花に半紙を巻いて、家の中のお好きなところに”逆さまに”吊り下げてください。魔除け、厄除けのおまじないです。そして、幸せになれるよう祈りが込められています。』
 
わたしは紫陽花を、両手でそっと包み込む。
彼はさらに言葉をつづけた。
 
『だいたいいつでもいいのですが、6が付く日に行うのがいいんですね。でも、今日、6月26日が、一年の中で最良の日なんですよ。』
 
彼がとても優しい目でわたしを見てくれるので、わたしも優しく微笑み返した。
 
『ありがとうございます!ずっとずっと大切にします!!』
 
わたしは一礼をして、お屋敷を後にする。
彼はずっと、わたしが見えなくなるまで見守っていてくれた。
 
 
家に帰って、早速紫陽花に半紙を巻いてみる。
半紙だけじゃ寂しいから、赤いリボンを巻いて、ベッドの脇に吊り下げてみた。
白を基調にしているお部屋に、淡く色づく紫陽花を見ていると、なんだか幸せな気持ちになる。
『ふふっ、もうご利益があったのかも!』
紫陽花にそっとキスをして、眠りについた。
明日もまた、あのおうちに行ってみようかな。
 
 
 
 
 
初出:2019/6/25 10:23:09