魔法の自転車







大好きなお兄ちゃんが引っ越してから、1ヶ月が経つ。
高校を卒業して、大学進学のために遠いところでひとり暮らしをはじめたのだ。
最初の頃のメールは即レスだったのに、最近は一日に一回しかくれなくなった。
わたしが寂しんぼだって知ってるくせに…。
ひどいよ、お兄ちゃん。

お兄ちゃんはお隣りに住んでいた。
物心ついた時からずっと一緒にいたので、離れ離れになる日が来るなんて思ってもみなかった。
お兄ちゃんが引っ越すって知った時、いっぱい泣いた。
もう誰も信じられなかったし、誰とも逢いたくなかった。
部屋に鍵をかけて、ベッドに潜り込んでたっけ。
この世の終わりの様な気がしたのかも。

そんな時、携帯がメールの着信を知らせた。
お兄ちゃんからの初めてのメール。
『おーい、鍵あけて!』
わたしは即行返した。
『やだ!!』
すぐに返事が来た。
『顔見せろよ。話がしたいんだ。』
お兄ちゃんになんか逢いたくない。
『お兄ちゃんなんか大嫌い!!』
少し間をおいて、返事が来た。
『そんなこと言われたら、俺悲しいんだけど‥。とにかく話をしてくれよ。』
お兄ちゃんを悲しませた!? う…、でも嘘は嫌い!
『ずっと一緒にいてくれるって言った!嘘つきは嫌いだもん!!』
返事が来ない。
あれ?やだ、どうしよう…。

さすがに酷いことを言ったかなぁ~と思ってベッドから起き上がった時、またメールが来た。
『わかったよ。じゃあ今日はこれで帰るけど、ひとつだけ言わせてくれ。
 おまえ怖がりだから言ってなかったけど、こないだ、近くの川からカッパが逃げたんだ。
 そのカッパが、水を滴らせながら夜な夜な街中を歩き回ってるらしいぜ。
 暗い部屋でひとりで泣いてる女の子を狙ってるって話だ。
 お前も気をつけろよ。…今なら俺がいるけどな。』
わたしは慌てて部屋から飛び出した。
と、そこに、お兄ちゃんの大きな胸があった。

「ばぁ~か!」

…!!
お兄ちゃんはわたしの頭をこんこんって軽く二回叩くと、ぎゅ~って抱きしめてくれた。
わたしはお兄ちゃんの胸でいっぱい泣いた。
お兄ちゃんはずっと、抱きしめていてくれた。
すごく、温かかった。


新学期が始まって、最初の大型連休。
GWには帰ってくると思っていたのに、お兄ちゃんは帰ってこなかった。
アルバイトが忙しいとか…。
なんで?わたしよりバイトの方が大事だなんて!
はじめてメールで喧嘩した。
三日間、返事を出さなかった。
しばらくして、お兄ちゃんからメールが来た。
1行だけの簡素なメール。

『今度の金曜には帰る。』


なんで金曜なの?わたし学校じゃない。
お兄ちゃんを一番にお迎えに行きたかったのに。
お迎えの準備もできないじゃない。
ちゃんとお風呂に入って、髪もセットして。
え?いや…、そういう意味じゃないけど。

そして金曜日。ずっとそわそわしてて、授業どころじゃなかった。
帰りのホームルームが終わって、一目散に教室を飛び出した。
校門のところに見慣れた人影が見えた。
あれ?まさか…!

「よお!ただいま!」

日に焼けて、体格の良くなったお兄ちゃんがいた。

「お、お兄ちゃん!?なんで?わたし今から駅に迎えに行こうと思ってたのに!」

お兄ちゃんは、「あ~…」とほっぺをポリポリしながら言った。

「これで来たから迎えはいらなかったんだ。」

そう言ったお兄ちゃんの視線を辿って目をやると、そこには真新しい一台の自転車があった。

「え…、自転車で来たの?お兄ちゃんとこから?」

わたしはびっくりした。
だって、お兄ちゃんの住む街からこの町までは、たぶん200kmくらいはあるんだもの。

「エコやエコ!今流行ってるだろ。」

「エコって‥、あはは。お兄ちゃんて面白い!飛行機じゃないんだから。」

「しょうがないだろう、貧乏学生なんだから。往復の交通費考えたら、自転車しかなかったんだよ。」

そんな会話をしながら、わたしはお兄ちゃんの隣に並んで家へ向かった。
暖かな風が流れた。
離れていた時間がうそのように、穏やかな気持ちになった。
わたしの居場所。

「でも、なんで今日なの?」

わたしは、お兄ちゃんを覗きこんで訊いた。
するとお兄ちゃんは自転車を止めて、リュックから小さな箱を取り出した。

「目、閉じて。」

「???」

わたしは言われるままに目を閉じた。
ふっと、首筋に冷たいものが流れた。
そっと触れてみると、指先に冷たい感触があった。
トップのない、ボールチェーンのペンダント。

「今はそれしか買えなかったけど、誕生日おめでとう!」

わたしは、お兄ちゃんの首に腕を回して抱き付いていた。
覚えていてくれた!
もうそれだけで、胸がいっぱいになった。

自転車のペダルが、キィ…って言いながら、少しだけ動いた。