魔法の傘






長雨が続く、梅雨真っ盛りのこの時期にしては珍しく、今朝は早くからお日様がお顔を見せてくれた。
わたしは、ここぞとばかりにお洗濯をして、お部屋のお掃除をして、それでもまだお昼には早いので、ちょっとお散歩をしてみることにした。
この街に越してきて半年。
いつも会社とおうちの往復ばかりで、まだちゃんと歩いたことがなかった。
でもひとつだけ、すごく素敵な所を見つけていた。
何のことはない住宅地の坂道なんだけど、4月初めに通りかかった時、すっごく沢山のソメイヨシノが満開で、まるで映画に出てきそうな場所。
桜がみんな散ってしまうまでは何度か足を運んだんだけど、最近はWワークでなかなか時間が取れなかった。
実はこの桜の木の下には(正確には「周り」には)秘密があって、この時期をず~っと楽しみにしていた。

おうちからはだいたい20分くらいかしら‥。
軽く汗をかくくらいの距離のところに、その場所はある。
市街地からは少し離れているせいか、平日のこの時間は人通りも少なく、この静けさがすごく心地よい。
いよいよこの角を曲がるとその場所に着く‥と言うところで、わたしは足を止めた。
そして目を閉じて、深く、深く深呼吸―。
心を落ち着けてから、一歩足を踏み出した。

『うわぁ~やっぱりだぁ~!めちゃすご~い!!』

思わず声をあげ、「その場所」へ駆け寄った。
角を曲がってわたしの目に飛び込んできたのは、色とりどりに咲き誇る紫陽花―。
赤、青、紫、白、そしてピンク。
桜の木の隙間を埋め尽くすように植えられた紫陽花は、所狭しと咲いていた。
わたしはスマホを取り出して、ひたすら写真を撮りまくった。

一通り撮り終えたころ、片隅の葉っぱがもぞもぞと動き出した。
ま、まさか‥良からぬ予感がして後ずさろうとしたその時、小さなカタツムリがちょこんと顔を出した。

『きゃ~~~かたつむりさん!!』

本日二度目の奇声を発してしまった‥。

そんなわたしの叫び声など何もなかったように、そのカタツムリはにゅるにゅると葉っぱの上を歩いた。
「歩いた」と言う表現は正しいのかな‥?
ゆったりのんびりと、すべるように移動するカタツムリに顔を近づけてじ~っと見ていると、もう一匹、隣の葉っぱからカタツムリがやってきた。
そして、最初のカタツムリが居る葉っぱに移動しようとして‥落ちた。
わたしは慌てて差し出して、手のひらでキャッチ!
最初のカタツムリのお隣りへ、ちょこんって並べてあげた。

しばらくして、お互いに触角を使ってコミュを始めたかと思うと、二匹並んで移動し始めた。
たまに立ち止まって(?)、触角でお互いを確認しながら。
んんん?これってもしかして‥え?
まぁ、幸せになってね~!と心の中でささやかに祝福していると、ぽつ‥ぽつ‥と
雨が降り出してきた。
今日くらいしかゆっくりと休める日はないのに‥。
もうちょっとだけ‥そう思ってまた紫陽花に見入っていると、頭の上から優しい声が聞こえた。

『風邪引きますよ。』

その声にびっくりして振り返ると、空色の傘をわたしに差し掛けて立っている男性が居た。

『え?あ、すみません。』

わたしは頭を下げて立ち去ろうとすると、さらに男性から声をかけられた。

『紫陽花はお好きですか?』

『ええ。』

わたしが立ち止まって返事をすると、『実は私も好きなんですよ。』と言いながら、わたしを傘の中へ招き入れてくれた。
さっきまで小降りだった6月の雨は、傘がなくてはずぶぬれになってしまうほどに雨あしが強まってきた。

『紫陽花にはいろんな種類がありますけど、私はガクアジサイが好きでしてね。でも、なかなか見かけないのですが、ここにはいろんな種類が植えてあるのでよく来るんですよ。』

そう言って、彼は紫陽花について話し出した。

『もちろん、ホンアジサイも好きですよ。色とりどりに咲き誇る紫陽花は、西洋のバラにも匹敵するくらいに誇らしい日本の花です。正確には花ではないですけれどね。ヒメアジサイも可愛らしいですね。』

すごく優しいまなざしで紫陽花を見ながら話す彼が、なんだか輝いて見えた。

『へぇ~すごくお詳しいんですね!』

わたしがそう言うと、彼はにっこり微笑みかけて、さらに話をつづけた。

『いつか大切な人と暮らす家は、紫陽花でいっぱいにしたいと思っています。』

わたしはちょっとびっくりした。だって、紫陽花の花言葉って‥。
きょとんとしているわたしを見て、彼は察したようにまた話をした。

『あぁ、確かに紫陽花の花言葉には、「冷淡」「冷酷」「移り気」など、マイナスなものが多いですね。でも一方では、「一家団欒」や「家族の結びつき」なんて言う温かいものもあるんですよ。』

わたしはさらにおめめを丸くした。

『ご存知だったんですか!?』

そう問いかけると、『あなたもご存知だったんですね!』と、嬉しそうに満面の笑みになった。

『小さな花びらが‥正確には萼(がく)ですが、寄り集まって咲いてるのって、家族がいっぱいいるようで素敵だなぁ~って思うんです。子供が沢山いたら、にぎやかで楽しそうですし!あ‥、もしかして、だからガクアジサイがお好きなんですか?』

彼は、『あはは、そうかもしれないですね。』ってにこやかにうなずいた。
そんな彼が、すごく輝いて見えた。「あぁ‥この人は、家族をすごく大切にする人なんだなぁ‥。」そう思ったら、わたしも自然に笑顔になった。
そうこうしているうちにお昼も回り、さっきまでの本降りの雨が小雨になっていた。

『これ以上は本当に風邪を引いてしまう。どうぞこの傘をお持ちください。』

そう言って彼は、わたしに空色の傘を持たせた。
わたしは慌てて彼に傘を返そうとしたけど、『うちはすぐそこですから。』って言いながら走り出した。

『待って!あの、またお逢いできますか?』

わたしが叫ぶと、彼は一瞬振り返り、

『一年後、あなたが覚えていてくれたら、ここでまた!』

そう言って消えてしまった―。



あれから何度かあの場所に足を運んだけど、結局彼に逢うことはできなかった。
空色の傘は、いつしかわたしの心の拠りどころとなっていた。
そして一年後。
彼がもし、あの約束を覚えていてくれたなら―。

わたしは、ずっと大切にしまっていた空色の傘を持ち、「あの場所」へ向かった。
一年前のあの時とは違って、期待と不安の入り混じった、何とも言えない複雑な気持ちだった。
あの角を曲がって、彼が居なかったら‥。

わたしは曲がり角の手前で、一旦足を止めた。
そして目を閉じて、深く、深く深呼吸―。
心を落ち着けてから、一歩足を踏み出した。
空色の傘を、ぎゅっと抱きしめながら。





市街地から少し離れた住宅地の一角に、「紫陽花ロード」と呼ばれる坂道があります。
ちょっと急な坂道なので好んで通る人は少ないのですが、ごくごくたま~に、
素敵なことが起こることもあるそうですよ。



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<紫陽花ロード>