魔法のヴァイオリン







「ねぇ、お願い。魔法をかけて。」

少女は、古びたヴァイオリンに手を添え、話しかけた。
ヴァイオリンは微かに揺れ、ギィ‥と一音だけ鳴った。

「やっぱりもう、ダメなのかな…。」

溢れる涙をそのままに、少女はヴァイオリンを抱きしめた。


2年前までそのヴァイオリンは、とても綺麗な旋律を奏でていた。
少女の大好きな彼が、そのヴァイオリンの奏者だった。
彼はとても繊細に、そして時に大胆に彼女に弾いて聴かせてくれた。
少女は、彼の弾くヴァイオリンの音色がとても好きだった。
少女を優しく包み込んでくれるその音色は、彼に抱きしめられているようで、とても居心地が良かったのだ。
しかし、別れは突然やってきた。
夢見心地の気持ちよさに浮かれた少女は、毎日のように、彼にヴァイオリンを弾いてほしいとせがんでしまった。
最初の頃は彼も、少女のために時間を作って弾いてくれたが、いつしかその音色は細く、弱々しいものになっていった。
少女はそれに気づいていたが、ヴァイオリンを弾くことが彼の元気の源になると思っていたので、ついついお願いしてしまった。
そして…、彼はヴァイオリンを置いて立ち去ってしまった。

「私には、このヴァイオリンを弾くことはできない。」

少女は毎日、そのヴァイオリンを抱きしめて眠った。
大好きな彼の弾く旋律を、もう聴くことはできない。
そしてもう、自分の想いを伝えることはできない。
その事実を噛みしめながら…。


ヴァレンタインの終わった巷(ちまた)では、今度はホワイトデーで賑わっていた。
彼の居たころは、ヴァレンタインもホワイトデーも、幸せなイベントだった。
ひとりになって、初めて知る寂しさ。
こんなに、心に冷たい風が吹くなんて…。
少女は、居た堪れない気持ちになった。
このままどこかに、消えてしまいたいよ…。


幾ばくかの時間が過ぎたころ、どこからかヴァイオリンの音色が聴こえてきた。
夜半過ぎ、こんな時間にヴァイオリンを弾く人がいるなんて…。
少女は微かな意識の中で、その音色に必死で聴き入った。
誰が弾いてるのだろう?
どこから聴こえてくるのだろう?
でもこの弾き方、聴いたことある…。


少女は布団の中で、ヴァイオリンを抱きしめながら眠っていた。
その頬には、いく筋もの涙の跡が残っていたが、不思議と哀しくはなかった。
むしろ、優しい温かさに包まれて、とても心地よく感じていた。
少女が抱きしめていたヴァイオリンは、いつの間にか跡形もなく消えてしまっていたが…。


 ねぇ、お願い。魔法をかけて。
 私を優しく、抱きしめていて…。